UTMF2022の関門時刻に注意

今年はUTMFがありそうです。私も出ますので楽しみです。
さて、今回はウェーブスタートになり、関門時間が短くなりました。最後尾でスタートしたアスリートの制限時間は44時間と以前より2時間短くなります。UTMF完走タイムの中央値が42時間程度であるため、結構影響がありそうです。
最後に正常に開催されたUTMF2018のデータをもとに「完走ギリギリ通過タイム」を作り、関門時刻と比べてみました。そうすると、関門時間の設定が非常に緩いことがわかります。


UTMFはきららまで大きく余裕をもって通過しないと完走できません。特に麓〜精進湖は関門閉鎖の4〜5時間前に入る必要があります。勝山(今年は富士急)〜山中湖きららも1〜2時間前に通らないと完走できません。面白いことに、富士吉田の関門はきつめです。ここに間に合ったらまず完走できる、とも言えますが、二十曲峠からは急いだ方がいい、とも言えます。
UTMFは最終盤まで関門時刻が非常にゆるいので、関門時刻が見える展開ではできるだけ急いだ方がいい、と考えます。

登りのランニングと平地のランニングは違うのか

平地では早いのに、周りに比べて登りは遅いようだ・・・という悩みをもつランナーは多いかと思います。わたしもそうです。

さて、そのような悩みについて話すと必ず出る話題が以下の2つです

  1. 登りを早くするには坂で練習すべきなのか、それとも平地で走りこむだけで登りも早くなるのか
  2. 登りを早くするには「股関節を使う」といい

この議論に役立ちそうな論文があります。

PADULO, Johnny, et al. A paradigm of uphill running. PLoS One, 2013, 8.7: e69006.

「登りのランニングのパラダイム」

この論文では速度を一定に保ったトレッドミルで、傾斜0%, 2%, 7%と変化させていきながらいろいろな測定をしています。その中でも面白いのが筋電図のデータです。

上記論文Fig.3より改変

傾斜が強くなると明らかに動員が高まる(矢印)のが大殿筋と大腿二頭筋(ハムストリングスを構成する筋肉)です。いずれも股関節の伸展に重要な筋肉です。

すなわち、平地と坂では動員される筋肉が異なるのです。トレーニングに対する適応の多くが筋肉で起こることを考えると、坂で早くなるには坂で練習するのが効率的だろう、と考えます。

一方、平地のランニングでも大殿筋や大腿二頭筋はある程度動員されます。ですので、平地だけで練習していても、ある程度上り坂が早くなるのも想像できます。

2についてですが、登り坂では股関節を伸展する筋肉が強く動員されるのです。ですから、「股関節を使わない」登り方など存在しえないのです。

「登りを早くするのに股関節をうまく使う」、というのはマラソン3時間を切る方法を問われて4:10/kmで走り続けたらいい、と答えるのと一緒です。単なる言い換えなのです。

以上をふまえて、登りを早くする方法として私が考えるのは以下です。

  1. トレイル練習の割合を増やす。無理なら坂とか階段練習を入れる
  2. ヒルリピート、ヒルインターバルなども有益かもしれない
  3. 殿筋群を狙ったレジスタンストレーニングを導入する(i.e. スクワット、デッドリフト、レッグプレス)

ビッグデータでみるトレーニング内容と走力の関係

スポーツ生理学の論文を読んでいると、サンプル数(被験者の数)の少なさに驚きます。10人〜30人程度の研究がほとんどのように思います。これは協力者を見つけることの難しさや、測定の煩雑さに由来するものだろうと推測します。

さて、最近はみなさんGPSウォッチでトレーニングやレースを記録するので、何万人ものデータの解析も可能になりました。Polarのウェブサイトに蓄積されたデータを解析した論文がNature Communication誌に発表されているので紹介します。かなり複雑な論文ですので、読者の興味を惹きそうな部分を中心に紹介します。

Emig, T., Peltonen, J. Human running performance from real-world big data. Nat Commun 11, 4936 (2020). https://doi.org/10.1038/s41467-020-18737-6

まず、著者らはレースタイムを予測するモデル(数式)を以前から提唱しており、それが今回のPolarの2万人分のデータでも当てはまることを示しています。

上記論文のEq. 1

この数式で読者の大半が脱落した気がしますが、簡単にいうと、γl がレースの経過とともに低下するパワーの割合です。これはランナー固有の数値でありγlさえ決定すれば、El (持久力~=つかれにくさ), vm(VO2maxに達する最低速度~=維持可能な最大速度)の計算ができ、これらがレースの結果を説明するのに十分なのだ・・・というのが論文の前半部です。

さて、紹介したかったのは数式ではありません。このパラメーターを確立した上で、著者らは22,000のトレーニングシーズン(1シーズン=180日)を見ていきます。その結果4つの洞察をえます。

上記論文のFigure 5

Fig 5a: 練習の総距離(dtrain)と維持可能な最大速度(vm)は相関する

練習の総距離に比例してvmが高くなり、最大の3600km(月間600km)でもその関係は線形です。

Fig 5b: 練習の平均相対強度(ptrain)と維持可能な最大速度(vm) に負の相関がある

足の速い人ほど楽なトレーニングの割合が高く、遅い人はきつめのトレーニングをしています。

Fig 5c: TRIMPの総和と持久力(El)は比例するが、TRIMP総和が25,000あたりで飽和する。

TRIMPとは強度*時間で練習負荷を数値化したものです。

Fig 5d: 練習の平均相対強度(ptrain)と持久力(El)は相関する

さて、この論文は相関を見たもので、因果関係はよくわかりません。

しかし昨今のスポーツ生理学の理解に照らしあわせて雑にまとめると、以下の結論を示唆しているものと考えます。

  1. 低強度練習の量と足の速さは比例する
  2. 高強度練習は持久力を涵養する
  3. 練習計画は低強度と高強度練習を適切に混ぜる必要がある

OSJ KOUMIに関門時刻を勝手に設定してみる

ほとんどの大会がパンデミックのせいで中止になる中、OSJ KOUMI100は開催されそうです。35kmのループを5周するユニークな100マイルレースで、国内有数の難しさです。2019年は台風で中止でしたので、2018年のデータを見てみました。

 

完走率は低い

男性302人、女性24人が出走し、男性92人、女性10人が完走しています。全体での完走率は31%です。女性の完走率は41%と高いです。

年代別にみると、30代後半~40代前半の参加者が多いことが分かります。50代後半~60代の完走率は非常に低いようです。

ランナーはだんだん遅くなる

KOUMIは同じループを何度も走る大会であるため、ランナーの速度の変遷を評価できます。フィニッシュタイムの時間帯別の平均ラップタイムを見てみます。足が早い(26時間)人も遅い(34時間)人も同じように遅くなっていきます。LAP5が早くなるのは、最終ラップは休憩時間が算入されていないためと思われます。1周ごとに60分前後遅くなっていくのが100マイルレースの現実のようです。

ランナーは3周目までに大体脱落する

ランナーのうち、レースに残っている率(生存率)を見てみます。1~3周でだんだんとランナーが脱落しています。4周目をした人はまず完走するようです。人間の心理としても納得できます。

現実的な関門時刻を考える

このレースは4周目終了の28時間と完走の36時間しか関門の設定がありません。しかし、それ以前から勝敗が決まっている可能性は高そうです。ラップタイムと完走率を見てみます。

1周目が6時間を超えていて完走した人はいません。2周目が13時間を超えて完走した人もいません。3周目ですが、20時間以上で顕著に完走率が落ちますが、21時間3分でも完走した人はいます。

以上を考えると、完走のための現実的な関門は以下のようになるかと思います。

1周目 6時間

2周目 13時間

3周目 20時間半

私は出ませんが、大会が無事開催されることを祈っています。

ランニングエコノミーをできるだけシンプルに説明してみた

ランニングエコノミーってなんでしょうか。なんで大事なのでしょうか。エコノミーとはある速度で運動している時のエネルギー消費です。エネルギー消費を直接測る方法がないため、科学者は体が酸素をどれだけ取り込んだのかを測って(=VO2)推測しています。

ある人がランニングを始め、練習を積んで足が早くなる・・・その時に何が起こるのでしょうか。VO2maxが上がる、と考える人は多いかと思います。確かに、運動習慣がない人が運動を始めるとVO2maxは大きく上昇します。

左(練習を始める前)と右(練習してVO2maxが改善した)では、10km/hで走るとき、以前は67%の努力が必要だったのに、足が早くなった時には58%の努力で走れるようになっています。すなわち、楽になっていることがわかるかと思います。(非常に単純化した仮想のデータです)

しかし、20代後半以後である程度トレーニングしているアスリートは、VO2maxは変わらなかったり、加齢に伴い低下する傾向にあります。ポーラ ラドクリフがオリンピアンになる過程で、VO2maxは変わらず、エコノミーが改善したことが示されています。エコノミーの改善こそ長期的な成長の鍵なのです。

エコノミーが改善するとはどういうことでしょうか。ランニングエコノミーが改善する前(青)、改善した後(オレンジ)を示します。10km/hrで走る際に必要な努力が67%から50%になり、楽になっていることがわかります。(これも非常に単純化した仮想のデータです)

ではエコノミーはどのように決まっているのでしょうか。相当な部分は遺伝ですが、トレーニングで改善できる部分もあります。エコノミーは以下のような多くの要因で決まっていると考えられています。

エコノミーを決める因子(Saunders 2004より改変)

  • トレーニング
    • プライオメトリクス、ウェイトトレーニング、トレーニングの時期、スピード、ボリューム、坂練習
  • 環境
    • 高度、暑さ
  • 生理学
    • VO2max, 思春期の成長歴、代謝、ランニングの速度
  • バイオメカニクス
    • 柔軟性(適度な体の硬さ)、体のバネ、ランニングフォーム、地面からの反発力
  • 体型
    • 四肢の長さ、筋肉の丈夫さ、靭帯の長さ、体重と体脂肪率

エコノミーの改善のためにはフォームの改善が大事、とする主張をよくランニング雑誌やSNSを見ます。しかし、フォームはエコノミーを決める数ある要因の中の一つでしかありません。

エコノミーを改善する上で最も重要なのは高いトレーニングボリュームと、それを続けてきてきた期間です。高いボリュームの練習に、プライオメトリクスやウェイトトレーニングを加えることで、さらなるエコノミーの改善が得られることが示されています。その理由は、脳や脊髄レベルでの適応を促すこと、筋肉や靭帯の構造的な適応を促すことにあると考えられています。

体が適応できる範囲でランニングの量を漸増することに加え、エコノミーの改善を目的とした補助トレーニングをいれることを私はお勧めします。といっても、バーベルを触ったこともない人がいきなりゴールドジムに行って100kgを担ぐのはお勧めしません。適切なメニューはアスリートのレベル、トレーニング歴により大きく異なるので、よくよく慎重に導入しましょう。

参考資料

Saunders, P. U., Pyne, D. B., Telford, R. D., & Hawley, J. A. (2004). Factors Affecting Running Economy in Trained Distance Runners. Sports Medicine, 34(7), 465–485. doi:10.2165/00007256-200434070-00005

筋グリコーゲンを意識した練習

“Endurance is a metabolic quality”

「持久力とは代謝の性質である」

Steve House & Scott Johnston. Training for the Uphill Athletes (2019)

 

マラソンのトレーニングをして足が早くなった時、体のどこが変わったのでしょうか。心肺機能、という答えが多そうです。しかし、あなたが何年も走ってきたなら、心肺機能は発達しきっている可能性が高く、変わるのは主に筋肉です*。毛細血管の発達、ミトコンドリアの数の変化、代謝酵素の変化などが知られています(1)。すなわち、トレーニングすることで組織、細胞、分子のあらゆるレベルで筋肉に変化が起き、運動の効率が高まるのです。

この変化を誘導するには、何ヶ月〜何年も継続的に走ることが最も重要です。最近の研究で、筋肉のグリコーゲン量を意識することでトレーニングの効果が高まる可能性が示されています。

グリコーゲンはグルコースが連なった巨大な分子で、エネルギーの貯金のようなものです。グリコーゲンは肝臓と筋肉に貯蔵されており、それぞれ役割が異なります。

筋肉

朝起きたらお腹が減っています。この時、肝臓のグリコーゲンは減っていますが、筋グリコーゲンは減っていません。ですが、ハーフマラソンを完走した後や、インターバル走、ロング走をした後は筋グリコーゲンが減っています。筋グリコーゲンが減った状態で行う練習に効果があるのではないか、という研究が続いているのです。

有名なのがHansenらの研究です。運動習慣のない被験者を対象に片足を1日2回、週3回練習させ、もう片足を毎日1回、週5回練習させて結果を比べています(2)。被験者は朝食を食べずに練習し、その日の練習が終わるまで食事をとりません。どちらの足も2週間の練習は10回で同じです。ですが、10週後のトレーニングで1日2回側では、毎日側に比べて疲労するまでの時間が66%も長くなっていました。筋生検では1日2回側で筋グリコーゲン量、代謝酵素の上昇が見られました。

この差が出た原因として、1日2回練習する側では2回目の練習は筋グリコーゲンが減った状態で始まるからではないかと考えられています。すなわち、トレーニングや食事のタイミングを工夫して筋グリコーゲンの量を調節するだけで効果が高まる可能性を示唆しているのです。

この知見を活かすため、以下のような練習を週1回ほどいれてはどうでしょうか。こちらが巷で有名な”Sleep low”戦略です(3)。

  1. 夜にインターバル走して筋グリコーゲンを燃やす。その後は炭水化物の摂取は控えめに。次の日の朝、筋グリコーゲンが低い状態でジョギングする。

仕事や家庭のスケジュールによっては、夜=>朝練習はキツイかもしれません。休日をこのように計画することもできます。

  1. 休日、朝食を食べてからインターバル走・テンポ走などして筋グリコーゲンを燃やす。3,4時間休んでから改めてジョギングする。そのあと昼食を摂る。

いずれにしても、1回目のセッションの前はしっかり食べて、狙い通りの強度で練習をすることが重要です。

私が試した印象では、低グリコーゲン練習は100マイルレースの後半を走るときの感覚に近いと感じました。体だけでなく、精神も鍛えられるかもしれません。

 

*注 実際はより複雑です。トレーニングで脳神経系、内分泌系、免疫系にも変化が起こることが示唆されています。

 

  1. Hawley JA, Lundby C, Cotter JD, Burke LM. Maximizing Cellular Adaptation to Endurance Exercise in Skeletal Muscle. Cell Metab. 2018;27(5):962-76.
  2. Hansen AK, Fischer CP, Plomgaard P, Andersen JL, Saltin B, Pedersen BK. Skeletal muscle adaptation: training twice every second day vs. training once daily. J Appl Physiol (1985). 2005;98(1):93-9.
  3. Marquet LA, Brisswalter J, Louis J, Tiollier E, Burke LM, Hawley JA, et al. Enhanced Endurance Performance by Periodization of Carbohydrate Intake: “Sleep Low” Strategy. Med Sci Sports Exerc. 2016;48(4):663-72.

 

暑さに強い体を作る

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だんだん暑くなってきましたね。人間の体は暑さに慣れることができます。気温が上がってくる時期は、暑熱馴化(heat acclimatization)を意識したトレーニングが大事です。

暑熱馴化は50年以上の研究の歴史があります。暑熱馴化した体は

  1. 汗のナトリウム濃度が低く、
  2. 汗の量(sweat rate)が増え、
  3. 血漿量が増えています

3は説明が必要かもしれません。血液=血球+血漿です。血漿とは血液のうち液体の部分をさします。暑熱馴化した体では血漿が増える(=血液中の水分が多くなる)ことが繰り返し観察されています。体の表面の血流を増やして熱を逃がしやすくしたり、汗を作るための水をためる目的があると考えられています。

汗が増えている、というのも重要です。暑さに強い人は汗をかかない、水を飲まないイメージがありますが逆です。よく汗をかいて熱を逃がしているのです。ですので、暑熱馴化した体でも水分補給は重要です。

暑熱馴化を誘導するにはどうしたらいいのでしょうか。いろいろ研究されていますが、体温を上げるような内容の練習をほぼ毎日、1〜2時間程度するのはだいたい共通しています(1-3)。5日程度でも汗の量の変化は起きますし、10日~14日程度で最大の馴化を誘導できるようです(1, 2)。

ここから先はマラソン4時間以内、月200km以上走っているようなアスリートを念頭に書きます。このようなアスリートは暑い季節に普通に練習していれば、ある程度の暑熱馴化を獲得できているはずです。

ですが、現実に5~7月のレースではアスリートが暑さのせいで力を発揮できない、というのをよく見ます(i.e. 比叡山International Trail Run, 村岡ダブルマラソンなど)。それは、季節的に気温がだんだんと上がる時期であるため、普段の練習よりレースの日が暑いからではないかと考えています。

また、普段は朝や夜など涼しい時間に練習しているが、レースは直射日光が強い日中である、というのも似たような問題です。このように、普段の練習よりさらに暑い環境でレースがある場合は、意図的に暑熱順化を誘導するような練習を勧めます。

今まで述べたような、もともと暑い時期だが、さらにレースが暑いと予測される場合は以下のように練習を調節しています。

  1. 意識的に暑い時間帯に走る
  2. 練習の最初にインターバル走、スプリントを入れて体温を上げる
  3. 練習後にそのまま浴室暖房をつけたシャワーに入って体温が高い時間を伸ばす

これとは別のシナリオですが、暑い場所に旅行してレースに参加するのも暑熱馴化が大事になってきます(i.e. Ultra Trail Tai Mo Shan, OSJ 奄美トレイルランなど)。この場合は、私は以下のように対処しました

  1. フリースなどで厚着して走る
  2. ジムで長袖を着て走る

1は洗濯物が大変ですし、異様なのであまり勧めません。私はPatagonia R2 Jacketに某社の透湿性がほぼないソフトシェル(??)を重ねています。凄まじい蒸し暑さを体験できるので自信は付きます。

2はジムに通える環境であればやりやすいです。もともとジムの空調の設定はランナーには暑すぎるので、長袖を着なくても相当暑いです。また、練習後に汗を流してサウナに飛び込めば体温が高い時間をさらに延長できます。ただ、ジムのトレッドミルは使用時間に制限があることが多く、十分練習できないかもしれません。

この記事で述べた戦略はどれも私が実践しており、今まで私が暑いレースをうまくこなせた大きな要因と考えています。しかし、いずれの練習法も熱中症の危険があるため、体調を見ながら無理せず取り組んでください。熱中症は死ぬ可能性もある危険な病態であることを忘れないでください。以前に書きましたが、1回や2回スゴい練習をしても体は変わりません。継続的に取り組んだことだけが体を変えるのです。

参考文献

1.    Gibson OR, James CA, Mee JA, Willmott AGB, Turner G, Hayes M, et al. Heat alleviation strategies for athletic performance: A review and practitioner guidelines. Temperature (Austin). 2020;7(1):3-36.

2.    Karlsen A, Nybo L, Nørgaard SJ, Jensen MV, Bonne T, Racinais S. Time course of natural heat acclimatization in well-trained cyclists during a 2-week training camp in the heat. Scandinavian Journal of Medicine & Science in Sports. 2015;25(S1):240-9.

3.    Racinais S, Périard JD, Karlsen A, Nybo L. Effect of heat and heat acclimatization on cycling time trial performance and pacing. Med Sci Sports Exerc. 2015;47(3):601-6.

ランナーの吐いた息が10m先まで飛んで他人を感染させる??

(2020-05-14 修正第2版 変更点は末尾にあります)

ランナーがBuffやマスクをして走る光景が目立つ様になりました。多くの人は、ランナーが飛沫を撒き散らしているのでマスクをしたほうがいい、という山中伸弥先生のYouTubeビデオや、それを紹介するニュース報道を見たのだと思います。あるいは、Buffを顔に巻いたランナーの自撮り写真をSNSでみたのかもしれません。しかし、その根拠は極めて貧弱なのをご存知でしょうか。

以下長いので要点だけ先に書きます。

  1. 論文ではないし、研究者の姿勢が疑わしい
  2. サブ3ペースで走りながらくしゃみするランナーのシミュレーションであり現実味がない
  3. 学術的な意義がない
  4. (ウイルスが口から出ているとして)Buffで感染予防になるのか

問題1 科学の通常の手順を踏んでいないし、今後も踏む予定がなさそう

コンピューターでシミュレーションをしたところ、ランナーの後方10mまで飛沫が飛ぶことがわかった、という主張をベルギーの工学系の研究者であるB. Blockenが4月9日にニュースレポーターに話しました。驚くことに、この段階で論文を発表していません。大学の職員は論文を出版し社会に共有するのが重要な使命です。これだけ重要な知見であれば早急に発表するものです。論文として発表されていないものは存在しないも同然ですし、論文投稿の前にメディアに発表はしないものです。

4月11日に論文の草稿をラボのウェブサイトに投稿しています(1)。論文投稿するためには、未発表である必要があり*注、これをしてしまうと査読付き雑誌への投稿も難しくなります。ちゃんと発表する気がないようにみえます。全体として、B. Blocken氏の行動は科学者らしからぬものでなんとも変です。この不審な経緯はVICEがよくまとめています(2)。

問題2 シミュレーションの前提がおかしい

論文ではCFD (Computational Fluid Dynamics)シミュレーションという手法を使っています。このテクニックについて私は詳しくありませんが、BlockenらはCFDのコミュニティに強く非難されています(3)。CFDは咳のシミュレーションに適切でなく、Blockenらの仕事は「昼休みに作り飛ばしたような」レベルとのことです。

さて、医学者である私にも明らかに変と思える点があります。「時速14.4kmで走りながらくしゃみをするランナー」のシミュレーションなのです(文献1、section 4.1.の末尾)。飛沫の径などのパラメーターはくしゃみの飛沫を測定した文献から引用しています。

言い換えますと、「サブ3のペースで走りながらくしゃみをし続けるランナー」のシミュレーションです。これが普通のジョギングといえるでしょうか。また、この論文は山中伸弥先生がいうような「普通に走っているランナーが飛沫を飛散している」という主張はしていません

問題3 そもそも学術的な意義がない

少し面倒な話をします。CFDは建築や機械の設計などで使われる技術で、医学での利用例は極めて少ないです。血流のシミュレーションでいくつか使われている程度です。CFDを人体に応用して驚く様な知見を得たとしたら、それが単なるコンピューター遊びでないことの証明が必須です。

すなわち、以下のいずれかがなくては机上の空論なのです。

  • 10m先のランナーから感染したとしか思えない症例の報告が医学誌に続いている。感染症学の常識からはにわかに信じがたいが、BlockenらがCFDシミュレーションを活用しそれがおこりうることを示唆した
  • 風洞でランナーの飛沫を採取するなど、他の実験手法でもCFDシミュレーションと同様の結果が得られることをBlockenらが確認し、COVID-19の新しい伝播様式がある可能性について警鐘を鳴らした

全体としてCFDのデータだけでは意味のないコンピューター遊びにすぎず、世界に付け加えるものはないと考えます。それがBlockenらが論文投稿する気がないようにみえる本当の理由ではないかと疑います。

そもそもBuffに効果があるのか

4月中旬に山中伸弥先生がYouTubeで顔にバフを巻くことを勧めるYouTube動画を投稿し、ニュースでも紹介されました。以後、SNSの投稿で流行って今に至ると理解しています。しかし、今まで紹介した通り山中先生が引用している論文(?)は極めて怪しいものです。顔バフをすることが妥当とは思えません。

仮にランナーの口からウイルスが多量に出ていると信じるのであれば、走らないほうがいいです。Buffで口を覆って排出するウイルスが減る証拠はないです。息がしやすいためBuffのフィルター性能は極めて低いと予想します*注2。

最近、The Great Virtual Race Across Tennesseeというバーチャルレースに参加しています。世界中から10,000人以上のランナーが参加してSNSで活発にやりとりしていて楽しいです。世界のSNS投稿をみても顔バフランナーは少ないです。顔バフが日本の異様な奇習として定着しないことを切に祈っております。また、顔バフを免罪符にソーシャルディスタンシングが徹底しないことを心配されてもいます。顔バフを必要と感じるような場所、時間に走らないほうがいいです。

*注1 ジャーナルが認めるプレプリントサーバーを除く

*注2 全米アカデミーズがマスクとCOVID-19について優れた論説を発表しています(5)。マスクのフィルター性能と息苦しさはおおむね比例することがわかります。「息のしやすい」Buffを求めるのは本末転倒です。そのほかにも面白い記述が多くてお勧めです。「ソーシャルディスタンシングと手洗いが最も重要である」「布製のマスクがCOVID-19の感染予防に有効であるエビデンスはほぼない」などなど。

(1) B. Blocken, F. Malizia, T. van Druenen, T. Marchal. Towards aerodynamically equivalent COVID19 1.5 m social distancing for walking and running. http://www.urbanphysics.net/Social%20Distancing%20v20_White_Paper.pdf

(2) The Viral ‘Study’ About Runners Spreading Coronavirus Is Not Actually a Study. https://www.vice.com/en_us/article/v74az9/the-viral-study-about-runners-spreading-coronavirus-is-not-actually-a-study?fbclid=IwAR01AP5Dfo_40skV2oEQfadRooImq-qfEliQZGbKrbayC1dIxZbxVlfJxr4

(3) An Open Letter to the CFD Community: Can we please stop the sneezing simulations already?. https://www.linkedin.com/pulse/open-letter-cfd-community-can-we-please-stop-sneezing-ferguson/?trackingId=ip4oiRHVSYyFXcLT45jJdw%3D%3D&fbclid=IwAR38yibLYgYGx8Jt4YSMdQcEVrB-os4JLEXH9s_qNnTXOcvLNIHSINilI2I

(4) ジョギングエチケット https://www.youtube.com/watch?v=sO1BmlMij8c

(5) National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine. 2020. Rapid Expert Consultation on the Effectiveness of Fabric Masks for the COVID-19 Pandemic (April 8, 2020). Washington, DC: The National Academies Press. https://doi.org/10.17226/25776.

 

2020-05-14 修正第2版

オリジナルの版はこちらからアクセスできます。

タイトルを改めました

山中先生に関する記載を大きく削除しました

咳=>くしゃみに修正しました

引用文献の数字が誤っていたので修正しました

 

新型コロナウイルスと共生する世界でマラソン大会をするには

COVID-19の研究は驚く様なスピードで進んでおり、発症前からウイルスの排出が起こり感染を広げているであろうことがわかってきました。それを受け、高名な医学誌に興味深い論説が載っています(1)。症状の有無でCOVID-19のスクリーニングをするのは難しいので、ハイリスク集団(i.e. 病院のスタッフ、入院患者)を優先して定期検査するほかないというのです。

これはトランプ政権のCOVID-19対策の責任者であるFauci博士の提言とも一致します(2)。プロスポーツ再開の条件として、1) 選手全員を定期的に検査すること 2) 選手を隔離すること 3) 無観客であることを挙げています。

さて、ワクチンが普及すればCOVID-19の社会への影響は小さくなりそうですが、数年はかかりそうです。それまでの期間、アマチュアスポーツ大会はどうなるのでしょうか。アマチュアスポーツの参加者全員にスクリーニング検査をするのは、社会資源の適切な利用とは思えず現実的ではありません。

以前、マラソン大会の衛生的な運営法について提言を書きました。無症候者が感染を広げていることが分かった現状では、これらの対策を徹底しても不十分と思います。これをもとに新しい提言をします。それは感染者数の動向を判断材料として、大会の規模を制限することです。

慶應大学でCOVID-19と無関係に入院した患者のPCR検査をしたところ、67人中4人が陽性だったとの報道がありました(3)。慶應大学の医療圏のPCR陽性者の頻度は1.67-14.6%(95%信頼区間)と推定されます。東京圏で活動性のある感染者の割合は1%と仮定しても大きくずれていないでしょう。(いろいろと雑な仮定を導入しています)

さて、そうすると東京で10人集まると9.6%, 50人集まると39.5%の確率で感染者が参加します(注)。これが、いま日本に外出自粛が必要な理由なのです。

「社会での感染者の割合」をいろいろ変えてみたとき、「大会の規模」(横軸)と「感染者が大会に参加する確率」(縦軸)を図示しました。すると以下の様になります。青が1%, すなわち今の日本です。赤が0.001%, 現状の1/1000まで抑えられたときの確率です。

covid-marathon-size

さて、飛行機は一定の確率で墜落しますが、みなさん飛行機に安心して乗っていると思います。すなわち、安全というのは、危険がゼロなのではなく、危険が非常に低いことなのです。ランニング大会に感染者が参加すれば、感染拡大を防ぐことは難しいと想定されます。したがって、感染者が参加する確率が十分低い規模に大会を制限するのが現実的と考えます。仮に1%ならよかろうとして上図に1%の黒い点線を足しています。点線より下の規模なら開催できるのではないか、という目安になります。

すなわち、以下の様になります。

感染者が参加する確率が1%以下となる大会の規模

社会の1%が感染(今の都市部??) 不可能
0.1%が感染 10人
0.01%が感染 100人
0.001%が感染 1005人

ワクチンがなく、コロナと共生する社会では現状の1/1000まで感染者が抑えられて初めて安全に小規模なトレイルランニング大会が開催できる、といえます。大阪国際女子マラソンのようなエリート専用の大会は規模が小さいためそれ以前に実施できる可能性があります。

今後、おそらくゲリラ的なマラソン大会の開催はあるでしょうが、全国的な解禁は難しいでしょう。残念ながら、来年のUTMFの開催も見通せない状況と考えます。ですので、私はバーチャルレースなど、他の走りかたを始めています。

(注)

この記事を書いた後、計算の根拠を知りたい、と質問がありましたので簡単に解説します。

この記事での計算は二項分布を仮定しています。古くから統計学で使われている妥当な仮定です。

たとえば、サイコロを10回ふったとき偶数が出る回数は何回でしょうか。5回、と答えられる方がいるかと思います。

すなわちP = 0.5 (1回ふったとき偶数が出る確率), N = 10 (振る回数)としてN * P = 5と計算されたものと思います。P * N = 5ですが、これは期待値であり、確率ではありません。

実際にサイコロを振ってみても実感できるかと思いますが、5000回実験すると偶数の回数はこの様に分布します。多くは4〜6回ですが、0回や10回も稀に起こります。これがP = 0.5, N = 10の二項分布です。

binom

さて、マラソン大会に参加する感染者の数は、社会での感染者の頻度P, 大会の参加者の人数Nの二項分布に近似できます。「マラソン大会に感染者が参加する確率」とは、「マラソン大会に参加する感染者が0でない確率」と言い換えることができます。

この場合、計算は容易で電卓でもできます。

(感染者が参加する確率) = 1 – (1 – P) ^ N

^はべき乗を表す記号です。すなわち2 ^ 3 = 2 * 2 * 2です。

このPとNをいろいろ変えてみたのがこの記事のグラフです。

 

  1. Gandhi, Monica, Deborah S. Yokoe, and Diane V. Havlir. “Asymptomatic Transmission, the Achilles’ Heel of Current Strategies to Control Covid-19.” New England Journal of Medicine (2020). Doi: 10.1056/NEJMe2009758
  2. “Some sports may have to skip this year, Fauci says.” New York Times, nytimes.com/2020/04/28/sports/fauci-sports-reopening-pandemic.html
  3. “新型コロナ以外の患者6%陽性 地域の状況反映か 慶応大学病院.” NHK, https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200423/k10012401391000.html

緊急事態宣言下でのランニングについての指針

前回、COVID-19流行下でのランニング大会運営の指針について書きましたが、COVID-19についての知見が増えてきて考えが変わりました。現在はCOVID-19が収束するまではどのようなランニング大会も開催すべきでない、と考えています。なぜなら、無症候性キャリアの感染拡大における役割が大きいと示唆する情報が増えてきたからです。今年どころか、来年すら大会の開催は難しいかもしれません。

では、走るのをやめるべきかというとそうは考えません。イタリアなどの外国ではジョギングなども禁止されていますが、緊急事態宣言を首相が説明した際(2020年4月7日)、ジョギングや散歩を制約するものではないとありました。しかし、調子に乗ってジョギングクラスターなど発生してはランニングすらできなくなる可能性もあります。

人と人との接触を減らして、再生産指数(R0)を減らす政策の主旨を踏まえ、緊急事態宣言下での安全なランニングについて私案をまとめました。

1. 友人と走らない、イベントをやらない

人と人との接触を減らすのが目的です。友人と走るのはやめましょう。イベントもやめましょう。一人か、同居人と走るだけにしましょう

2. 公共交通機関を使わない

公共交通機関では不特定多数と接触します。公共交通機関を利用するのは通勤や生活必需品を買うための必要悪と考えましょう。山には走っていくか、自家用車で行きましょう

3. 手指消毒剤をもっていく

長時間の練習には食べたり飲んだりがつきものです。汚い手での飲食は避けたいものです。手指衛生を徹底しましょう

4. 公共浴場を使わない、外食しない

更衣室での感染が疑われる例もあるようです。公共浴場を使うのは控えましょう。練習後のラーメンも論外です。練習が終わったら家でシャワーを浴びましょう

5. 人の少ないルート、時間帯を選ぶ

他人と接触する機会を減らしましょう。練習も快適にできるし、一石二鳥です

私が示しているのは根性論ではなく、おそらく長期戦となるCOVID-19と付き合いながら走り続けるための方策です。最近出た予測モデル(Kissler et al. Science 2020 eabb5793)では、効果的な社会的隔離ができれば、正常な社会に早く戻れることが示唆されています。中途半端をしていてはさらに長引きます。この難局を健康的に乗り切りましょう。