すれちがったランナーからコロナウイルスに感染する?

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前回、「ランナーの吐く息からウイルスが出ているのでマスクをして走った方がいい」という主張は根拠がないものだと書きました。結局、ランニングは安全なのでしょうか。というより、そもそもどこでCOVID-19に感染するのでしょうか。最近、この問題について論文が2報でています。いずれも査読前のプレプリントですが、それなりにちゃんとした仕事です*注。

結論として、COVID-19感染のほとんどが屋内でおき、大半は家庭や職員寮といった住居環境です。

1報目では中国の7,324症例の記録を分析しています(1)。そのうち屋外で起きたものは2例 (0.027%) だけです。公園で会話をした、とあります。

2報目では世界中の152のクラスター事例を分析してます(2)。そのうち屋外で起きたものは7件 (4.6%)です。屋外のうち4件は工事現場です。

152のクラスター事例のうちスポーツに関連するものは6件 (3.9%) で、そのうちランニングが関連するものは1件のみです。残り5件はズンバ、ジム、ボルダリングなど屋内のスポーツです。

このランニングで感染した、という事例について原文を調べてみました(3)。イタリアの出来事で、「感染者と一緒に走ったパートナーが感染した」とあります。

全体として、屋外での感染は非常にまれだが、感染者と長い時間過ごすような状況で起こることがあるかもしれない、といった程度です。工事現場がそれにあたるでしょう。ランニングでも極めてまれながら、感染者と一緒に過ごす時間が長いと感染する場合があるようです。

以上から、散歩やジョギングの危険はほとんどないだろう、と考えます。すれちがうランナーを恐れる必要はないのです。ただし、ランニングイベントは控えた方がいいでしょうし、ほかの人と十分な距離をとることは大事でしょう。

*注

2の論文には気になる点があります。2は新聞記事を含む幅広い情報源を対象にしたメタアナリシスです。新聞記事まで対象に含めるとは珍しい手法ですし、出版バイアスの影響を強く受ける恐れがあります(=珍奇な事例ほど出版されやすい)。

また、1にしろ2にしろ社会の状況や文化に強い影響を受けます。例えば、「学校を閉鎖していたから学校のクラスターが少ない」のか「学校でクラスターは発生しにくい」のかは区別しにくいのです。

そのような限界はあるものの、散歩、ランニング、サイクリングが感染拡大に果たす役割は極めて低いと考えます。ジョギングしている人は多いですが、それに関連した感染拡大が現実に観測されていないからです。熊本マラソンや東京マラソンに関連した感染拡大も観測されていません。

 

  1. Qian H, Miao T, LIU L, Zheng X, Luo D, Li Y. Indoor transmission of SARS-CoV-2. medRxiv. 2020:2020.04.04.20053058.
  2. Leclerc Q, Fuller N, Knight L, null n, Funk S, Knight G. What settings have been linked to SARS-CoV-2 transmission clusters? [version 1; peer review: awaiting peer review]. Wellcome Open Research. 2020;5(83).
  3. Coronavirus: inquiry opens into hospitals at centre of Italy outbreak. The Guardian.

 

ランナーの吐いた息が10m先まで飛んで他人を感染させる??

(2020-05-14 修正第2版 変更点は末尾にあります)

ランナーがBuffやマスクをして走る光景が目立つ様になりました。多くの人は、ランナーが飛沫を撒き散らしているのでマスクをしたほうがいい、という山中伸弥先生のYouTubeビデオや、それを紹介するニュース報道を見たのだと思います。あるいは、Buffを顔に巻いたランナーの自撮り写真をSNSでみたのかもしれません。しかし、その根拠は極めて貧弱なのをご存知でしょうか。

以下長いので要点だけ先に書きます。

  1. 論文ではないし、研究者の姿勢が疑わしい
  2. サブ3ペースで走りながらくしゃみするランナーのシミュレーションであり現実味がない
  3. 学術的な意義がない
  4. (ウイルスが口から出ているとして)Buffで感染予防になるのか

問題1 科学の通常の手順を踏んでいないし、今後も踏む予定がなさそう

コンピューターでシミュレーションをしたところ、ランナーの後方10mまで飛沫が飛ぶことがわかった、という主張をベルギーの工学系の研究者であるB. Blockenが4月9日にニュースレポーターに話しました。驚くことに、この段階で論文を発表していません。大学の職員は論文を出版し社会に共有するのが重要な使命です。これだけ重要な知見であれば早急に発表するものです。論文として発表されていないものは存在しないも同然ですし、論文投稿の前にメディアに発表はしないものです。

4月11日に論文の草稿をラボのウェブサイトに投稿しています(1)。論文投稿するためには、未発表である必要があり*注、これをしてしまうと査読付き雑誌への投稿も難しくなります。ちゃんと発表する気がないようにみえます。全体として、B. Blocken氏の行動は科学者らしからぬものでなんとも変です。この不審な経緯はVICEがよくまとめています(2)。

問題2 シミュレーションの前提がおかしい

論文ではCFD (Computational Fluid Dynamics)シミュレーションという手法を使っています。このテクニックについて私は詳しくありませんが、BlockenらはCFDのコミュニティに強く非難されています(3)。CFDは咳のシミュレーションに適切でなく、Blockenらの仕事は「昼休みに作り飛ばしたような」レベルとのことです。

さて、医学者である私にも明らかに変と思える点があります。「時速14.4kmで走りながらくしゃみをするランナー」のシミュレーションなのです(文献1、section 4.1.の末尾)。飛沫の径などのパラメーターはくしゃみの飛沫を測定した文献から引用しています。

言い換えますと、「サブ3のペースで走りながらくしゃみをし続けるランナー」のシミュレーションです。これが普通のジョギングといえるでしょうか。また、この論文は山中伸弥先生がいうような「普通に走っているランナーが飛沫を飛散している」という主張はしていません

問題3 そもそも学術的な意義がない

少し面倒な話をします。CFDは建築や機械の設計などで使われる技術で、医学での利用例は極めて少ないです。血流のシミュレーションでいくつか使われている程度です。CFDを人体に応用して驚く様な知見を得たとしたら、それが単なるコンピューター遊びでないことの証明が必須です。

すなわち、以下のいずれかがなくては机上の空論なのです。

  • 10m先のランナーから感染したとしか思えない症例の報告が医学誌に続いている。感染症学の常識からはにわかに信じがたいが、BlockenらがCFDシミュレーションを活用しそれがおこりうることを示唆した
  • 風洞でランナーの飛沫を採取するなど、他の実験手法でもCFDシミュレーションと同様の結果が得られることをBlockenらが確認し、COVID-19の新しい伝播様式がある可能性について警鐘を鳴らした

全体としてCFDのデータだけでは意味のないコンピューター遊びにすぎず、世界に付け加えるものはないと考えます。それがBlockenらが論文投稿する気がないようにみえる本当の理由ではないかと疑います。

そもそもBuffに効果があるのか

4月中旬に山中伸弥先生がYouTubeで顔にバフを巻くことを勧めるYouTube動画を投稿し、ニュースでも紹介されました。以後、SNSの投稿で流行って今に至ると理解しています。しかし、今まで紹介した通り山中先生が引用している論文(?)は極めて怪しいものです。顔バフをすることが妥当とは思えません。

仮にランナーの口からウイルスが多量に出ていると信じるのであれば、走らないほうがいいです。Buffで口を覆って排出するウイルスが減る証拠はないです。息がしやすいためBuffのフィルター性能は極めて低いと予想します*注2。

最近、The Great Virtual Race Across Tennesseeというバーチャルレースに参加しています。世界中から10,000人以上のランナーが参加してSNSで活発にやりとりしていて楽しいです。世界のSNS投稿をみても顔バフランナーは少ないです。顔バフが日本の異様な奇習として定着しないことを切に祈っております。また、顔バフを免罪符にソーシャルディスタンシングが徹底しないことを心配されてもいます。顔バフを必要と感じるような場所、時間に走らないほうがいいです。

*注1 ジャーナルが認めるプレプリントサーバーを除く

*注2 全米アカデミーズがマスクとCOVID-19について優れた論説を発表しています(5)。マスクのフィルター性能と息苦しさはおおむね比例することがわかります。「息のしやすい」Buffを求めるのは本末転倒です。そのほかにも面白い記述が多くてお勧めです。「ソーシャルディスタンシングと手洗いが最も重要である」「布製のマスクがCOVID-19の感染予防に有効であるエビデンスはほぼない」などなど。

(1) B. Blocken, F. Malizia, T. van Druenen, T. Marchal. Towards aerodynamically equivalent COVID19 1.5 m social distancing for walking and running. http://www.urbanphysics.net/Social%20Distancing%20v20_White_Paper.pdf

(2) The Viral ‘Study’ About Runners Spreading Coronavirus Is Not Actually a Study. https://www.vice.com/en_us/article/v74az9/the-viral-study-about-runners-spreading-coronavirus-is-not-actually-a-study?fbclid=IwAR01AP5Dfo_40skV2oEQfadRooImq-qfEliQZGbKrbayC1dIxZbxVlfJxr4

(3) An Open Letter to the CFD Community: Can we please stop the sneezing simulations already?. https://www.linkedin.com/pulse/open-letter-cfd-community-can-we-please-stop-sneezing-ferguson/?trackingId=ip4oiRHVSYyFXcLT45jJdw%3D%3D&fbclid=IwAR38yibLYgYGx8Jt4YSMdQcEVrB-os4JLEXH9s_qNnTXOcvLNIHSINilI2I

(4) ジョギングエチケット https://www.youtube.com/watch?v=sO1BmlMij8c

(5) National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine. 2020. Rapid Expert Consultation on the Effectiveness of Fabric Masks for the COVID-19 Pandemic (April 8, 2020). Washington, DC: The National Academies Press. https://doi.org/10.17226/25776.

 

2020-05-14 修正第2版

オリジナルの版はこちらからアクセスできます。

タイトルを改めました

山中先生に関する記載を大きく削除しました

咳=>くしゃみに修正しました

引用文献の数字が誤っていたので修正しました

 

新型コロナウイルスと共生する世界でマラソン大会をするには

COVID-19の研究は驚く様なスピードで進んでおり、発症前からウイルスの排出が起こり感染を広げているであろうことがわかってきました。それを受け、高名な医学誌に興味深い論説が載っています(1)。症状の有無でCOVID-19のスクリーニングをするのは難しいので、ハイリスク集団(i.e. 病院のスタッフ、入院患者)を優先して定期検査するほかないというのです。

これはトランプ政権のCOVID-19対策の責任者であるFauci博士の提言とも一致します(2)。プロスポーツ再開の条件として、1) 選手全員を定期的に検査すること 2) 選手を隔離すること 3) 無観客であることを挙げています。

さて、ワクチンが普及すればCOVID-19の社会への影響は小さくなりそうですが、数年はかかりそうです。それまでの期間、アマチュアスポーツ大会はどうなるのでしょうか。アマチュアスポーツの参加者全員にスクリーニング検査をするのは、社会資源の適切な利用とは思えず現実的ではありません。

以前、マラソン大会の衛生的な運営法について提言を書きました。無症候者が感染を広げていることが分かった現状では、これらの対策を徹底しても不十分と思います。これをもとに新しい提言をします。それは感染者数の動向を判断材料として、大会の規模を制限することです。

慶應大学でCOVID-19と無関係に入院した患者のPCR検査をしたところ、67人中4人が陽性だったとの報道がありました(3)。慶應大学の医療圏のPCR陽性者の頻度は1.67-14.6%(95%信頼区間)と推定されます。東京圏で活動性のある感染者の割合は1%と仮定しても大きくずれていないでしょう。(いろいろと雑な仮定を導入しています)

さて、そうすると東京で10人集まると9.6%, 50人集まると39.5%の確率で感染者が参加します(注)。これが、いま日本に外出自粛が必要な理由なのです。

「社会での感染者の割合」をいろいろ変えてみたとき、「大会の規模」(横軸)と「感染者が大会に参加する確率」(縦軸)を図示しました。すると以下の様になります。青が1%, すなわち今の日本です。赤が0.001%, 現状の1/1000まで抑えられたときの確率です。

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さて、飛行機は一定の確率で墜落しますが、みなさん飛行機に安心して乗っていると思います。すなわち、安全というのは、危険がゼロなのではなく、危険が非常に低いことなのです。ランニング大会に感染者が参加すれば、感染拡大を防ぐことは難しいと想定されます。したがって、感染者が参加する確率が十分低い規模に大会を制限するのが現実的と考えます。仮に1%ならよかろうとして上図に1%の黒い点線を足しています。点線より下の規模なら開催できるのではないか、という目安になります。

すなわち、以下の様になります。

感染者が参加する確率が1%以下となる大会の規模

社会の1%が感染(今の都市部??) 不可能
0.1%が感染 10人
0.01%が感染 100人
0.001%が感染 1005人

ワクチンがなく、コロナと共生する社会では現状の1/1000まで感染者が抑えられて初めて安全に小規模なトレイルランニング大会が開催できる、といえます。大阪国際女子マラソンのようなエリート専用の大会は規模が小さいためそれ以前に実施できる可能性があります。

今後、おそらくゲリラ的なマラソン大会の開催はあるでしょうが、全国的な解禁は難しいでしょう。残念ながら、来年のUTMFの開催も見通せない状況と考えます。ですので、私はバーチャルレースなど、他の走りかたを始めています。

(注)

この記事を書いた後、計算の根拠を知りたい、と質問がありましたので簡単に解説します。

この記事での計算は二項分布を仮定しています。古くから統計学で使われている妥当な仮定です。

たとえば、サイコロを10回ふったとき偶数が出る回数は何回でしょうか。5回、と答えられる方がいるかと思います。

すなわちP = 0.5 (1回ふったとき偶数が出る確率), N = 10 (振る回数)としてN * P = 5と計算されたものと思います。P * N = 5ですが、これは期待値であり、確率ではありません。

実際にサイコロを振ってみても実感できるかと思いますが、5000回実験すると偶数の回数はこの様に分布します。多くは4〜6回ですが、0回や10回も稀に起こります。これがP = 0.5, N = 10の二項分布です。

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さて、マラソン大会に参加する感染者の数は、社会での感染者の頻度P, 大会の参加者の人数Nの二項分布に近似できます。「マラソン大会に感染者が参加する確率」とは、「マラソン大会に参加する感染者が0でない確率」と言い換えることができます。

この場合、計算は容易で電卓でもできます。

(感染者が参加する確率) = 1 – (1 – P) ^ N

^はべき乗を表す記号です。すなわち2 ^ 3 = 2 * 2 * 2です。

このPとNをいろいろ変えてみたのがこの記事のグラフです。

 

  1. Gandhi, Monica, Deborah S. Yokoe, and Diane V. Havlir. “Asymptomatic Transmission, the Achilles’ Heel of Current Strategies to Control Covid-19.” New England Journal of Medicine (2020). Doi: 10.1056/NEJMe2009758
  2. “Some sports may have to skip this year, Fauci says.” New York Times, nytimes.com/2020/04/28/sports/fauci-sports-reopening-pandemic.html
  3. “新型コロナ以外の患者6%陽性 地域の状況反映か 慶応大学病院.” NHK, https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200423/k10012401391000.html