(2020-05-14 修正第2版 変更点は末尾にあります)
ランナーがBuffやマスクをして走る光景が目立つ様になりました。多くの人は、ランナーが飛沫を撒き散らしているのでマスクをしたほうがいい、という山中伸弥先生のYouTubeビデオや、それを紹介するニュース報道を見たのだと思います。あるいは、Buffを顔に巻いたランナーの自撮り写真をSNSでみたのかもしれません。しかし、その根拠は極めて貧弱なのをご存知でしょうか。
以下長いので要点だけ先に書きます。
- 論文ではないし、研究者の姿勢が疑わしい
- サブ3ペースで走りながらくしゃみするランナーのシミュレーションであり現実味がない
- 学術的な意義がない
- (ウイルスが口から出ているとして)Buffで感染予防になるのか
問題1 科学の通常の手順を踏んでいないし、今後も踏む予定がなさそう
コンピューターでシミュレーションをしたところ、ランナーの後方10mまで飛沫が飛ぶことがわかった、という主張をベルギーの工学系の研究者であるB. Blockenが4月9日にニュースレポーターに話しました。驚くことに、この段階で論文を発表していません。大学の職員は論文を出版し社会に共有するのが重要な使命です。これだけ重要な知見であれば早急に発表するものです。論文として発表されていないものは存在しないも同然ですし、論文投稿の前にメディアに発表はしないものです。
4月11日に論文の草稿をラボのウェブサイトに投稿しています(1)。論文投稿するためには、未発表である必要があり*注、これをしてしまうと査読付き雑誌への投稿も難しくなります。ちゃんと発表する気がないようにみえます。全体として、B. Blocken氏の行動は科学者らしからぬものでなんとも変です。この不審な経緯はVICEがよくまとめています(2)。
問題2 シミュレーションの前提がおかしい
論文ではCFD (Computational Fluid Dynamics)シミュレーションという手法を使っています。このテクニックについて私は詳しくありませんが、BlockenらはCFDのコミュニティに強く非難されています(3)。CFDは咳のシミュレーションに適切でなく、Blockenらの仕事は「昼休みに作り飛ばしたような」レベルとのことです。
さて、医学者である私にも明らかに変と思える点があります。「時速14.4kmで走りながらくしゃみをするランナー」のシミュレーションなのです(文献1、section 4.1.の末尾)。飛沫の径などのパラメーターはくしゃみの飛沫を測定した文献から引用しています。
言い換えますと、「サブ3のペースで走りながらくしゃみをし続けるランナー」のシミュレーションです。これが普通のジョギングといえるでしょうか。また、この論文は山中伸弥先生がいうような「普通に走っているランナーが飛沫を飛散している」という主張はしていません。
問題3 そもそも学術的な意義がない
少し面倒な話をします。CFDは建築や機械の設計などで使われる技術で、医学での利用例は極めて少ないです。血流のシミュレーションでいくつか使われている程度です。CFDを人体に応用して驚く様な知見を得たとしたら、それが単なるコンピューター遊びでないことの証明が必須です。
すなわち、以下のいずれかがなくては机上の空論なのです。
- 10m先のランナーから感染したとしか思えない症例の報告が医学誌に続いている。感染症学の常識からはにわかに信じがたいが、BlockenらがCFDシミュレーションを活用しそれがおこりうることを示唆した
- 風洞でランナーの飛沫を採取するなど、他の実験手法でもCFDシミュレーションと同様の結果が得られることをBlockenらが確認し、COVID-19の新しい伝播様式がある可能性について警鐘を鳴らした
全体としてCFDのデータだけでは意味のないコンピューター遊びにすぎず、世界に付け加えるものはないと考えます。それがBlockenらが論文投稿する気がないようにみえる本当の理由ではないかと疑います。
そもそもBuffに効果があるのか
4月中旬に山中伸弥先生がYouTubeで顔にバフを巻くことを勧めるYouTube動画を投稿し、ニュースでも紹介されました。以後、SNSの投稿で流行って今に至ると理解しています。しかし、今まで紹介した通り山中先生が引用している論文(?)は極めて怪しいものです。顔バフをすることが妥当とは思えません。
仮にランナーの口からウイルスが多量に出ていると信じるのであれば、走らないほうがいいです。Buffで口を覆って排出するウイルスが減る証拠はないです。息がしやすいためBuffのフィルター性能は極めて低いと予想します*注2。
最近、The Great Virtual Race Across Tennesseeというバーチャルレースに参加しています。世界中から10,000人以上のランナーが参加してSNSで活発にやりとりしていて楽しいです。世界のSNS投稿をみても顔バフランナーは少ないです。顔バフが日本の異様な奇習として定着しないことを切に祈っております。また、顔バフを免罪符にソーシャルディスタンシングが徹底しないことを心配されてもいます。顔バフを必要と感じるような場所、時間に走らないほうがいいです。
*注1 ジャーナルが認めるプレプリントサーバーを除く
*注2 全米アカデミーズがマスクとCOVID-19について優れた論説を発表しています(5)。マスクのフィルター性能と息苦しさはおおむね比例することがわかります。「息のしやすい」Buffを求めるのは本末転倒です。そのほかにも面白い記述が多くてお勧めです。「ソーシャルディスタンシングと手洗いが最も重要である」「布製のマスクがCOVID-19の感染予防に有効であるエビデンスはほぼない」などなど。
(1) B. Blocken, F. Malizia, T. van Druenen, T. Marchal. Towards aerodynamically equivalent COVID19 1.5 m social distancing for walking and running. http://www.urbanphysics.net/Social%20Distancing%20v20_White_Paper.pdf
(2) The Viral ‘Study’ About Runners Spreading Coronavirus Is Not Actually a Study. https://www.vice.com/en_us/article/v74az9/the-viral-study-about-runners-spreading-coronavirus-is-not-actually-a-study?fbclid=IwAR01AP5Dfo_40skV2oEQfadRooImq-qfEliQZGbKrbayC1dIxZbxVlfJxr4
(3) An Open Letter to the CFD Community: Can we please stop the sneezing simulations already?. https://www.linkedin.com/pulse/open-letter-cfd-community-can-we-please-stop-sneezing-ferguson/?trackingId=ip4oiRHVSYyFXcLT45jJdw%3D%3D&fbclid=IwAR38yibLYgYGx8Jt4YSMdQcEVrB-os4JLEXH9s_qNnTXOcvLNIHSINilI2I
(4) ジョギングエチケット https://www.youtube.com/watch?v=sO1BmlMij8c
(5) National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine. 2020. Rapid Expert Consultation on the Effectiveness of Fabric Masks for the COVID-19 Pandemic (April 8, 2020). Washington, DC: The National Academies Press. https://doi.org/10.17226/25776.
2020-05-14 修正第2版
オリジナルの版はこちらからアクセスできます。
タイトルを改めました
山中先生に関する記載を大きく削除しました
咳=>くしゃみに修正しました
引用文献の数字が誤っていたので修正しました